新潟地方裁判所 昭和45年(わ)223号 判決 1975年3月26日
本店の所在地
新潟市花園一丁目二番五号
有限会社 ニューヒノマル
代表者代表取締役
内山千代蔵
代理人
内山キヨ
本籍
新潟市沼垂東四丁目七七七番地三
住居
同市東大通二丁目三番一五号
会社役員
内山千代蔵
明治四三年一〇月一七日生
本籍
新潟市沼垂東四丁目七七七番地三
住居
同市東大通二丁目三番一五号
会社役員
内山キヨ
大正九年一二月二〇日生
上記の者に対する法人税法違反被告事件につき、当裁判所は、検察官荒木紀男、弁護人伴昭彦、原和弘出席のうえ審理して、次のとおり判決する。
主文
被告人有限会社ニューヒノマルを罰金一五、〇〇〇、〇〇〇円に処する。
被告人内山千代蔵を懲役一〇月に、同内山キヨを懲役八月に各処し、この裁判の確定した日から二年間それぞれの刑の執行を猶予する。
訴訟費用は被告人有限会社ニューヒノマル及び被告人内山キヨの連帯負担とする。
理由
(罪となるべき事実)
被告人有限会社ニューヒノマルは、新潟市花園一丁目二番五号に本店を置き、右本店所在地(国鉄新潟駅前)で(昭和四三年三月一日以降は、そのほか同市沼垂でも)パチンコ遊技場を営むものであり、被告人内山千代蔵は同会社の代表取締役として、その業務全般を統括するもの、被告人内山キヨは千代蔵の妻で、同会社専務取締役として、その業務全般を掌理しているものである。被告人千代蔵、同キヨは、被告人会社の不況期に備えて、その資産を充実させるため、同会社の業務に関して、法人税を免れようと企てた。そこで、
第一 昭和四一年七月一日から昭和四二年六月三〇日までの事業年度において、所得金額が八一、九七八、〇一〇円であり、これに対する法人税額が二八、四六五、二〇〇円であるにもかかわらず、公表経理上売上の一部を除外し、簿外資産で貸付信託受益証券を買い入れたり、架空名義の定期預金にするなどの方法により、所得の一部を秘匿し、昭和四二年八月三一日新潟市所在の新潟税務署内で、同税務署長に対し、所得金額が一六、二一〇、二二三円であり、これに対する法人税額が五、四四六、四〇〇円である旨の、内容虚偽の確定申告書を提出し、もって不正の行為により、右事業年度の法人税額二三、〇一八、八〇〇円を免れた。
第二、昭和四二年七月一日から昭和四三年六月三〇日までの事業年度において、所得金額が八一、五九九、七一三円であり、これに対する法人税額が二八、三一四、八〇〇円であるのにかかわらず、公表経理上売上の一部を除外し、簿外の資産で金銭信託をなし、あるいは債券を買い入れるなどの方法により、所得の一部を秘匿し、昭和四三年八月三一日右税務署で、同税務署長に対し、所得金額が二一、二一一、六一〇円で、これに対する法人税額は七、一七九、〇〇〇円である旨の内容虚偽の確定申告書を提出し、もって不正の行為により、右事業年度の法人税額二一、一三五、八〇〇円を免れた。
(証拠の標目)
被告人会社および被告人両名につき、
一、大蔵事務官作成の証明書二通
二、被告人内山キヨ作成の提出書
三、北谷欽一作成の答申書二通
四、宮坂昌宏の大蔵事務官に対する質問てん末書
五、宮坂昌宏作成の供述書二通
六、宮坂昌宏の検察官に対する供述調書
七、山本光江の大蔵事務官に対する質問てん末書
八、伴昌(二通)、福田ヒサ、小林容子、笠原公子、五十嵐祥子、渡辺聖子および北谷欽一(二通)の検察官に対する各供述調書
九、熊倉タケの検察事務官に対する供述調書
一〇、竹田節雄の大蔵事務官に対する質問てん末書
一一、竹田節雄の検察官に対する供述調書
一二、佐藤英夫の大蔵事務官に対する質問てん末書
一三、佐藤英夫の検察官に対する供述調書
一四、大蔵事務官作成の証明書
一五、神保松次(二通)および神保昭子の大蔵事務官に対する各質問てん末書
一六、前田義雄および小林政吾作成の各答申書
一七、神保武一作成の供述書
一八、辻甫作成の答申書
一九、国税査察官作成の「大光相互銀行新潟支店偽名定期預金の法人、個人帰属区分調査表」と題する書面
二〇、大蔵事務官ら作成の「大光相互銀行沼垂店調査関係書類」と題する書面
二一、長曽一彦作成の「有限会社ニューヒノマル殿の調査に関する件回答」と題する書面
二二、神保松次、竹生田八郎、小林誠二、長澤久雄および我妻武雄作成の各答申書
二三、松尾恒太郎および加藤善次郎作成の各証明書
二四、和泉義輝作成の上申書
二五、和田正三および三浦祐治作成の各証明書
二六、武井哲夫、橋本吉隆および松村民治作成の各答申書
二七、伊藤宏作成の証明書
二八、村田方人作成の答申書
二九、国税査察官作成の「安田信託銀行新潟支店法人分貸付信託残高明細表」と題する書面
三〇、北谷欽一作成の証明書三通
三一、岡田市次郎および村山晶子の検察官に対する各供述調書
三二、牛島修作成の答申書
三三、清武周蔵作成の証明書
三四、今村恵一、烏山昌康および吉田一雄作成の各答申書
三五、国税査察官作成の「安田信託銀行新潟支店法人分貸付信託受取利息および割引料並びに期末未収金調」、「安田信託銀行新潟支店個人分貸付信託残高明細および会社貸付状況調」、「安田信託銀行新潟支店個人分貸付信託受取利息および割引料調」、「安田信託銀行新潟支店個人分金銭信託残高明細および受取利息明細」および「個人収支計算書」と題する各書面
三六、星野基男、小林久一、竹生田八郎、小林政吾、前田義雄および広瀬四郎作成の各答申書
三七、水沢誠一、渡辺清明および小林由太郎作成の各証明書
三八、岩崎俊男作成の答申書
三九、佐藤清市作成の証明書
四〇、中村藤吉、遠藤茂富、八田エフ子および竹津勇作成の各答申書
四一、吉田洋輔作成の証明書
四二、下烏修、吉田恭三、高橋源二、佐藤ヨイ、大串重雄、野村重蔵、堀川兵三郎および富沢鈴江作成の各答申書
四三、新潟財務事務所長作成の「事業税等の納付状況について(回答)」と題する書面
四四、二宮正雄作成の答申書
四五、遠藤商店作成の売掛台帳の写
四六、北山清作成の「電話料の収納額ならびに受入月日の調査について回答」と題する書面
四七、山口金次、長谷川光夫、味方ヒサ、佐藤清、海老八百吉、新潟社会保険事務所、近藤久一、高橋四郎次、清水一二、丸山徳治、佐々木松太郎(写し)、村上直、鈴木政仁、鈴木甚七、伊藤巽作成の各答申書
四八、大蔵事務官(二通)および新潟市長作成の各証明書
四九、前田義雄、河内正夫、渡辺央、長谷川昇、増井晴夫および丸山重一作成の各答申書
五〇、国税査察官作成の法人税決議書の謄本二通
五一、大蔵事務官作成の証明書三通
五二、押収してある総勘定元帳二綴(昭和四七年押第九八号の一および二)、日計表二綴(同押号の三)、同一綴(同押号の四)、仕入帳二綴(同押号の五および六)、日計表二綴(同押号の七)、日の丸工事関係領収書等綴一綴(同押号の八)、総勘定元帳一綴(同押号の九)、所得税源泉徴収簿四綴(同押号の一〇ないし一三)、給料支給明細表二綴(同押号の一四)、同二綴(同押号の一五および一六)、居宅新築関係綴一綴(同押号の一七)、仮処分決定関係書類一綴(同押号の一八)、借用証一枚(同押号の一九)、領収書綴一綴(同押号の二〇)、承認メモ一枚(同押号の二一)、貸金庫使用者の預金残高調一綴(同押号の二二)、貸金庫関係取引残高調一綴(同押号の二三)、貸金庫元帳四枚(同押号の二四)、所得税源泉徴収簿二綴(同押号の二五)、総勘定元帳一綴(同押号の二六)、預金等内訳メモ四枚(同押号の二七)、同三枚(同押号の二八)、決算関係綴一綴(同押号の二九)、総勘定元帳三綴(同押号三〇ないし三二)、貸金庫開扉票二綴(同押号の三三)および昭和四一年度一人別徴収簿一册(同押号の三四)
五三、大蔵事務官作成の法人税決議書の謄本
五四、小川虎二作成の答申書
五五、検察官作成の報告書
五六、神保松次作成の「内山千代蔵の貸付信託証券処分並びに電話債券購入状況等一覧表」と題する書面
五七、朝比奈和三ら作成の「43/10 景品交換率調」と題する書面
五八、被告人内山千代蔵作成の法人税確定申告書の写五通
五九、大蔵事務官作成の脱税額計算書および修正損益計算書各二通
六〇、国税査察官作成の「景品率による売上脱漏額調査表」と題する書面
六一、丸山源一の検察事務官および検察官に対する各供述調書
六二、酒井イツ子の検察官に対する供述調書
六三、瀬賀徳三の検察事務官に対する供述調書
六四、押収してある新潟市遊技場組合の昭和三八年議事録一册(昭和四七年押第九八号の四四)
六五、国税査察官作成の提出書の写
六六、南凡夫の大蔵事務官に対する質問てん末書の謄本
六七、南凡夫(謄本)および志賀利雄の検察官に対する各供述調書
六八、被告人内山千代蔵の大蔵事務官に対する質問てん末書五通
六九、被告人内山千代蔵および同内山キヨ作成の各答申書
七〇、被告人内山キヨの検察官に対する供述調書六通
七一、国税査察官作成の「入場人員比較調査表」と題する書面
七二、押収してある人員統計表一三綴(昭和四七年押第九八号の五二の一ないし一三)および同三綴(同押号の五三ないし五五)
七三、新潟地方法務局登記官作成の登記簿の謄本
七四、押収してある金銭出納帳二册(昭和四七年押第九八号の五六)および官庁届出書類控一綴(同押号の五七)
七五、第七回公判調書のうち被告人内山キヨの供述部分
七六、第八回公判調書のうち証人神保松次および被告人内山キヨの各供述部分
七七、第九回公判調書のうち証人志賀利雄、同城野伊一郎および同山崎愛彦の各供述部分
七八、第一一回公判調書のうち証人三井壽一郎の供述部分
被告人会社および被告人内山キヨにつき
七九、当公判延における証人近藤昭治および同高杉大生郎の各供述
八〇、当公判延(第一八回および第二二回公判期日)における被告人内山キヨの供述
被告人内山千代蔵につき
八一、第一七回ないし第一九回公判調書のうち証人近藤昭治の各供述部分
八二、第二一回公判調書のうち証人高杉大生郎の供述部分
八三、第一八回および第二二回公判調書のうち被告人内山キヨの各供述部分
被告人内山キヨにつき
八四、被告人内山キヨの大蔵事務官に対する質問てん末書一四通
(被告人および弁護人の主張に対する判断)
一、被告人および弁護人は、被告人千代蔵、同キヨが被告人会社の業務に関して、売上の一部除外の方法により法人税を逋脱したことを認めながら、その金額を争い、その額は検察官主張のような尨大な金額ではないと主張する。
二、先ず、被告人会社の事業年度は毎年七月一日に始まり、翌年六月三〇日に終るのであるが、それを昭和何年度と呼ぶかについて、検察官と弁護人で呼び方を異にしている。そこで、当裁判所は混乱を避けるため、昭和四一年七月一日に始まる年度を起訴第一年度(又は単に第一年度)と、昭和四二年七月一日に始まる年度を起訴第二年度(又は単に第二年度)と呼ぶこととす。
三、検察官は、被告人会社の起訴年度の所得金額を財産増減法(貸借対照表法)により、別表第一および第二の修正貸借対照表どおり立証した。
四、これに対し、弁護人は、主として起訴第一年度(別表第一)の有価証券、起訴第二年度(別表第二)の諸預金の項目の修正金額を争い、次のとおり述べる。被告人千代蔵、キヨ夫婦は、個人営業として昭和二五年以来沼垂四つ角にパチンコ店「日の丸遊技場」を経営して来たが、昭和三八年に新潟駅前にニューヒノマル店を開き、同年六月一五日有限会社ニューヒノマルを設立した段階で、個人の隠し財産として約一億円の現金をもっていた、このような隠し財産を作ったのは、パチンコ店営業につきものの景品買いが警察当局から禁止されているために、いつ警察の手入れがあって営業許可を取り消されるかも知れず、そのような危険に備えるためであった、しかし、昭和三七年ないし三八年ころになって警察当局が景品買いを大目に見るようになったので、隠し現金を逐次貸付信託等に換えていったものである、起訴年度に貸付信託等が大幅に増額したのはこのためのものであって、その大部分は当該年度の法人の所得ではない。
五、しかしながら、当裁判所は一億円の現金持ち込みの主張は、以下に述べる理由で、これを認めることはできない。
(1) 被告人会社は、昭和四四年三月下旬査察を受け、被告人内山キヨはそのころから引き続き国税査察官の質問を受けることとなったが、被告人キヨは当初一億円の現金持ち込みの主張を全くせず、むしろ被告人会社の平常の手持現金は五〇万円程度であると述べていた(四四・三・二九付質問てん末書)。その間内山千代蔵は査察を受けたシ ックで病気が悪化し、新潟大学病院に入院し、その後月岡温泉で静養していて、同年六月自宅に帰り、国税査察官の質問を受けることになった。そしてキヨは、千代蔵の帰宅と符号して、同月二四日の質問のさい初めて一億円の現金持ち込みの弁解をなすに至った。キヨがなぜ、それまでこの弁解をしなかったかについて考えるに、たとえ査察を受けたことや、夫の発病により、精神的に影響を受けていたとしても、キヨは在宅のまま質問を受けていたのであるから、その約三月の間一億円の存在を忘れていたとか、そのことを国税査察官に言い出すに言い出せなかったとは、到底考えられない。結局この弁解は、千代蔵が帰宅したあとの示唆か、千代蔵とキヨの相談の結果に基くものと推認される。
(2) 被告人キヨは、昭和四四年六月二六日の国税査察官の質問の際は、現金一億円は安田信託銀行新潟支店の貸金庫の中にあったと述べ(記録一九九九丁)、第一四回公判延では、沼垂店の地下室の中の一斗罐や段ポール箱に入れてあったと述べ(記録三九三丁)、第一五回公判延では昭和三七年ないし三八年五月ころ現金一億円は、沼垂店の地下室と安田信託銀行の貸金庫と手持現金とに分けてあったと述べ(記録四二二丁)、供述が首尾一貫しない。しかも、かように尨大な現金を沼垂店の地下室から安田信託銀行新潟支店まで、どのような方法で運んだかという点に関する具体的供述はない。
(3) 被告人会社はパチンコ店であるから、その売上金は大部分が千円札か百円硬貨であって、一万円札や五千円札は少なく、しかも中古札が多いと思われる。現に貸付信託を買い入れる際、千代蔵と応接した安田信託銀行新潟支店の行員は、貸付信託の買い入れに用いた現金は主として千円札であったと述べている。してみると、そのような金種で一億円の現金といえば、その嵩は尨大なものであろう。そのような現金は、沼垂店から安田信託銀行新潟支店へ運ぶだけでもたいへんであるだけでなく、およそ同銀行の貸金庫に納まるはずがない。被告人千代蔵は質問てん末書(四四・六・二七付)で一億円を貸金庫に格納していた見取図(記録一七九六丁)を描いているが、極めて不自然であって措信し難い。
(4) 被告人らは、簿外資産を現金で保管していた理由として、景品買いが発覚して警察の手入れを受けることのないようにするためであったなどと主張する。つまり、預金や貸付信託等では、現金に比べて発覚しやすいと思ったからだと弁解するのである。ところが、被告人らは被告人会社に近い、新潟駅前の同業者新潟会館が昭和四二年一二月に国税局の査察を受けるや、驚いて、自社の隠し財産を疎開しようとし、安田信託銀行新潟支店にあった貸付信託二億円余を中途解約して、東京の三菱信託銀行、三井信託銀行、住友信託銀行、安田信託銀行の金銭信託にしたり、電信電話債券を買ったりした。被告人らの主張どおり、現金がもっとも発覚しにくいと考えていたのなら、このときも貸付信託をすべて現金に替えて、東京方面の銀行の貸金庫にでも保管すべきであったであろう。
(5) 被告人夫婦は極めて商才にたけた人物であって、はじめ昭和二八年ころパチンコ店の利益を大光相互銀行の定期預金にしていたところ、銀行員にもっと利率の高い預け先を紹介してほしいと頼んで、安田信託銀行新潟支店を紹介してもらい、貸付信託を買い入れるに至った。そのように蓄財に熱心な被告人夫婦が、利子を生まない現金を一億円も持ち続けるとは、到底考えられない。
(6) 被告人らは、現在ニューヒノマル店の入っている内山ビルを昭和三八年に建築するときに、その資金六、〇〇〇万円を新潟相互銀行から借り入れた。当時あった隠し現金一億円に手をつけなかった理由として不動産を取得すると、税務当局から建築資金の出所を追求される恐れがあるということも考えられよう。しかし、それにしても、建築費を低目に公表して、資金の一部を隠し現金から支出するとか、前以て計画的に隠し現金を小刻みに預金に換えておくとかして、税務当局に目につかないように、隠し現金を表に出し、高額の借入金による金利の負担を避けるのが、普通のやり方であろう。
六、弁護人は、検察官の資産増減法による起訴年度の所得推計によれば、被告人会社の営業利益率(あるいは売上高)は到底ありえないような過大なものとなると主張する。
被告人会社の起訴年度の経理については、売上について不正があるだけで、仕入および経費については不正がなく、公表通りであることが、検察官、弁護人の間で争いがない。従って、売上さえなんらかの合理的な方法で推定すれば、営業利益率を計算することが出来、それによって営業利益率が合理的な範囲のものか否か、ひいては、検察官主張の当該年度の被告人会社の所得金額が合理的な範囲内にあるものか否かが判断されることになる。
この点について、検察官は、本法延で立証に用いた資産増減法による当該年度の所得推計の結果と、国税査察官が内部的に試みた損益計算法による所得試算の結果とは、さほど大きな隔たりはなく、検察官主張の所得金額は決して過大なものではない。なお、損益計算法による試算の一方法として、国税査察官は、被告人会社と同業種で、同じ新潟駅前にあり、被告人会社の一年余り前に査察を受けた新潟会館の景品交換率を用いたのであるが、この方法がもっとも便宜であると主張する。
右新潟会館は昭和四二年一二月に査察を受けた際、同店支配人南凡夫が作成していた隠しメモが発見され、このメモに基いて正確な景品交換率が把握された。国税査察官が右メモによる景品交換率に基き、新潟会館と被告人会社の営業規模を比較のうえ修正を加え、起訴年度の被告人会社の売上高を推定すると、起訴第一年度には三一一、三一六、三八二円、起訴第二年度には三四五、五五九、〇八三円となる(記録一六〇五丁以下)。この売上高と、公表の仕入高とを比較すると、営業粗利益率は、第一年度には三九・八%、第二年度には三九・五%となる。
弁護人は、たとえ同業者であっても、立地条件も営業方針も異なる新潟会館の営業数値を利用すべきではない、むしろ、査察当時正確に記録された被告人会社の機械一台当り売上高から推定すべきである、被告人会社は査察の前後を問わず、顧客本位の営業方針に変りはなく、かつ査察後は経理になんらの不正もしていないから、右の数値がもっとも信頼すべきものである、と主張する。しかし、新潟会館は被告人会社と同業で新潟駅前に位置し、両者を比べると、被告人会社の駅前店舗は一階のほか二階も店舗としている点で顧客が入りにくいという不利益はあるが、反面被告人会社の店舗は駅前広場に面しているのに対し、新潟会館は駅前広場よりやや入った地点にあり、人目につきにくいという不利益があって、新潟会館の数値を用いることが、特に被告人会社に不利益となる事情はない。また新潟会館に関する南凡夫のメモは、査察を意識しない通常の状態そのままの事実を記したものであるのに対し、被告人会社に関する査察中の記録は、被告人会社が査察を受けていることを意識した営業方針のもとでのものであり、いわば姿勢を正した状態でのものである。要するに、新潟会館の数値を用いることが特に不合理であるとする根拠はない。
また検察官が新潟会館の数値を用いて計算した被告人会社の起訴年度の売上高推定額は、先に記したとおり、ほぼ三一〇、〇〇〇、〇〇〇円ないし三四〇、〇〇〇、〇〇〇円である。ところがこれに対し、弁護人は、昭和四七年六月一七日の準備手続期日に陳述した陳述書(記録一二九丁)の中で、起訴年度の被告人会社の年間総売上高は約三億五、〇〇〇万円であると主張した。弁護人主張のこの数値は、検察官主張の新潟会館の景品交換率から推定した売上高をむしろ上廻るのである。
また、弁護人は、検察官主張の売上高から粗利益率を計算すると、起訴第一年度は三九・五%となり、起訴第二年度は三七・九%となって異常に高いと主張する。しかしながら、弁護人主張の粗利益率は弁論要旨(記録六八四丁)によると、起訴第一年度において三五・六一%であり、起訴第二年度において三〇・八七%である。弁護人主張の例えば三五・六一%という粗利益率は信用に値する数値であって、検察官主張の三九・五%という粗利益率が異常に高い、信用すべからざる数値である、とはいえないであろう。パチンコ業の粗利益率が年度毎に大きく変動することは、弁護人主張の数値からもうかがい知ることが出来るのである。すなわち、弁護人の主張(記録六八四丁)によると、起訴年度に引き続き、被告人会社の粗利益率は、昭和四三年七月一日に始まる年度で二四・四六%、昭和四四年七月一日に始まる年度で二一・一七%、昭和四五年七月一日に始まる年度で二六・二七%、昭和四六年七月一日に始まる年度で二九・九七%、昭和四七年七月一日に始まる年度で三一・三二%である。してみると、弁護人の主張によっても、被告人会社の年間の粗利益率は、昭和四一年から昭和四八年に至る間に二一・一七%から三五・六一%の間を動いていることになる。このように考えると、起訴年度の売上高、売上利益を考えるに当って、被告人会社の他の営業年度の数値こそ、信用に値する数値であり、同業者の景品交換率を用いてはならないという弁護人の主張は、その根拠がないように思われる。
七、弁護人は、先に述べた個人資産としての一億円の現金持ち込みの主張とは別個に、検察官の貸借対照表法による立証においては、被告人会社の資産の増加と個人としての内山千代蔵、同キヨの資産の増加が分別されていないから、不完全な立証である、と主張する。しかしながら、すでに査察の段階で、被告人内山キヨは経理事務所の事務員の補助を得て、個人収支計算書を作成し、国税査察官に提出した(記録一八一八丁以下)この計算書は実名の資産だけであるが、国税査察官は取引銀行にも照会して、内山千代蔵、同キヨならびにその家族の個人資産と見るべき無記名あるいは偽名の資産をも調査して、キヨ作成の答申書に加えて、国税査察官名の個人収支計算書を作成した(記録一三五八丁以下)。この個人収支計算書は、北谷欽一作成の答申書(記録六四丁以下)、村田方人作成の答申書(記録五五八丁以下)、前田義雄作成の答申書(記録四〇〇丁以下)、「大光相互銀行新潟支店偽名定期預金の法人、個人帰属区分調査表」(記録四四六丁以下)「安田信託銀行新潟支店個人分貸付信託残高明細および会社貸付状況調」(記録六八四丁以下)、「安田信託銀行新潟支店個人分貸付信託受取利息および割引料調」(記録六九一丁以下)、「安田信託銀行新潟支店個人分金銭信託残高明細および受取利息明細」(記録六九五丁以下)等の資料に基いて作成されたものである。検察官は右の国税査察官作成の個人収支明細書により、個人資産の増加とみなされたものを除いて、被告人会社の資産の増加を立証したのであるから、弁護人の右の非難は当らない。
八、以上要するに、被告人、弁護人の主張はすべて理由がなく、検察官主張どおりの事実を認定することができる。
(法令の適用)
被告人らの判示行為に法律を適用すると、被告人内山千代蔵、同キヨの判示第一および第二の各行為は法人税法一五九条一項、刑法六〇条に被告人会社の判示第一および第二の各行為は法人税法一五九条一項、二項、一六四条一項にそれぞれ該当するが、被告人千代蔵、同キヨの罪につき懲役刑を選択し、以上は刑法四五条前段の併合罪であるから、被告人千代蔵、同キヨについては同法四七条本文、一〇条により重い判示第一の罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で、被告人千代蔵を懲役一〇月に、被告人キヨを懲役八月にそれぞれ処し、情状により同法二五条一項を適用して、この裁判の確定した日から二年間右各刑の執行を猶予することとし、被告人会社については同法四八条二項により罰金の合算額の範囲内で、罰金一五、〇〇〇、〇〇〇円に処する。訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項、一八二条にのっとり、被告人会社および被告人内山キヨに連帯負担させる。
(量刑の理由)
本件は昭和二五年以来被告人内山千代蔵、同キヨ夫婦が協力してパチンコ店を経営して来たところ、昭和三三年ころ田圃の中にできた現在の国鉄新潟駅の付近が急に発展し、昭和三八年に駅前広場に面して開いたニューヒノマル店が、たまたま昭和三九年の新潟地震後の復興景気に乗って、起訴年度において異常な収益を挙げた機会に、被告人夫婦が将来の企業の安定を願って、隠し財産を作ろうとして犯したものである。その逋脱の方法も反面調査により発覚しないように仕入や経費に一切手をつけず、不特定多数の顧客が相手であって、証憑の残らない売上についてだけ秘匿をするなど、巧妙である。被告人らの刑事責任はかなり重いといわなければならない。
もっとも、被告人らは犯則の発覚後は重加算税等を滞りなく支払い、その後の経理および税務申告を公正に改めており、なお被告人千代蔵はもともと高血圧症であったところ、本件査察を受けた衝撃でさらに健康を害したこともあるので、これらの点を綜合考慮し、被告人内山千代蔵、同キヨに対しては、刑の執行を猶予するのが相当であると認めた。
よって、主文のとおり判決する。
昭和五〇年四月二一日
(裁判官 大浜恵弘 裁判官 片山俊雄 裁判長裁判官藤野豊は転任につき署名押印できない。裁判官 大浜恵弘)
別表1
修正貸借対照表
昭和42年6月30日現在
<省略>
修正貸借対照表
昭和42年6月30日現在
<省略>
別表2
修正貸借対照表
昭和43年6月30日現在
<省略>
修正貸借対照表
昭和43年6月30日現在
<省略>